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Atelier Mashenka~世界は悦びに満ちている

アトリエ・マーシェンカのブログです。アート,ダンス,思索・・・etc.

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ダンス発表会の稽古の日々~4月 


4/23
テンポの速い"Step Up"の曲が、昨日を境にゆっくり聞こえるようになった。
そして振りが身体に入った感覚があった。
脳の作用は面白い。



4/26
門仲でのリハ。
"鳥葬"は完全ではないけれど、最後の振りまでやって
先生から具体的なアドバイスをいくつか頂けた。

手をあげるときの視線、
最初のバックで下がっていくときの脚の向きとバランス、
後ろ向きで腕を揺らすときのタイミングとアクセント、
オフバランスのときの音の取り方、
最後の振りをもっと大きくすることなど。

やっといろいろ言って頂けるところまで来れた。
ありがたく嬉しい。最後のところはもう少し詰めよう。



4/27
バレエのレッスンの後、発表会の曲3曲を練習した。
先生に最近バレエがよくなった、きれいになったと言って頂けた。
苦手なところはもちろんまだまだあるけれど、
背中などがきれいになったと、それはジャズにも活かされていると言われた。

"Silver&Gold"では、私に対して「いい男がいる」と言って頂けた。
私はこの曲は中性的なイメージで踊っていたので
そういうイメージが伝わったのがとても嬉しかった。
今の私にとって最高のほめ言葉だ。
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カテゴリ: ダンス

スレッド: ダンス - ジャンル: 学問・文化・芸術


"鳥葬"の振付2 





4/11
昨日は"鳥葬"の後半の振付と練習をし、夜のリハに臨んだが、
先生からは後半部分について「中途半端!」と言われ、まだOKが出ない。
一応振りが流れたと思ってほっとしていたのにがっくりきた。

しかし自分でも本当には納得する出来ではないので仕方ないかも。
またやり直しだ。
まだまだプレッシャーとストレスとつきあい続けなければならない。

煮詰まってしまった。考えすぎないほうがいいのかもしれない。



4/14
他のソロを踊るメンバーは、先生が振付をつくり、振り移しをし、
振付を覚え、覚えたものを踊り、技術的な課題を与えられ、それを練習していく。
振りが出来るようになると今度は表現の課題が与えられ、
それを模索して踊りを完成に近づけていく。
これらを何ヶ月かかけてやっていく。

それに対し私の場合は、先生に見せる段階で
すでに全工程の7~8割方出来た状態まで持って行かないといけない。
振付をつくり、それを覚え、技術も表現もある程度こなしておかないと、
その振付の形と表現したい内容を知っているのは自分だけだから、
先生も評価やアドバイスができない。

だから稽古の初期から中盤くらいの時期までは
他のメンバーより大変だし、精神的にもきついと思う。
ただし、うまく行ったときには何重もの悦びがある。


この土日で、みんなで踊るコンテンポラリーの曲の、
私の振付がだいぶ変更になった。
どんどん場所も変わり、振りも増えた。
先生の中でイメージが湧いてくるらしい。
先生のイマジネーションを刺激する存在であったとしたら
こんな嬉しいことはない。
私の中でもその振りに合わせて表現がわいてくる。
自分なりの解釈で、ここはこうしよう、ああしようと発想する。
いつの間にか一番おいしい役になっている。


今日はのんびりした。
出かけず、ダンスの練習もZUMBAの練習もせず、
ただただここ数日のことをぼーっと考えていた。
そうした時間がどうしても必要なのだ。
インプットの時間、アウトプットの時間、そして消化の時間。
消化の時間がなければ消化不良となったり、
経験したことが真の栄養となり得なかったりする。



お風呂の入ってぼーっとしながら、多分振付のことを考えていた。
出て、髪をふいているとき、思いつく。
"鳥葬"の後半は振りのための振りになっているからダメなのだ、と。
物語を表現しないと。

詩の朗読が終わったところからいきなり振りが劣化しているのは
それが問題なのではないだろうか。
自由と言えば自由な振りをつけられるけれど、
中身のない、伝える物語のない、魂のこもっていない振りになってしまった。

前半は手の振りが多かったので脚を使う振りを入れようとか、
移動が少ないので大きく移動する振りにしようとか、
表面的なバランスも気にしてしまった。

あの詩のあと、どうなるのか。
詩で言葉で表現したあとの世界。
イメージをまず自分の中に描けなければ、虚ろな踊りになってしまう。
テクニックやバランスを考えてしまう。
きれいにまとめようとしてしまう。

そうではない。

"あなた"という鳥、差し出される"私"、その愛憎と葛藤、その後の物語。
風が吹いて死臭を運んだあと、骨となった"私"がなお感じる、
"あなた"の哀しみ、慟哭。
それを乗り越えるのか、打ちのめされるのか、受け止めるのか。
それが何も示されていないし、結論も出ていない。
そこから考えないと勧めない。

前半のインパクトだけで、後半は空疎なまま終わってしまう。



きれいに踊ってはいけない。
陰惨にエグくやらないと。

"鳥葬"の詩のその後を考えようとすると、
まず"陰惨"というキーワードが浮かび、
よろよろとほねぼねしく歩く自分の姿しか思い浮かばない。

地味でもダンスらしくなくてもしかたない。
広く大きく動けなくても仕方ない。
そんなことでバランスを取ろうとするなんて、よくない。



前半の振りにはすべてひとつひとつイメージがある。

黒いかたまり、爪、黒い鳥のはばたき、とらわれて縛られた女、罪人、
いけにえにされる女と、自分自身を裁く女、その二重身、
差し出される肉体、引き裂かれる肉体、内心の吐露、閉ざした心の象徴、
はりつけ、くず折れる肉体、ついばまれる肉体、一塵の風・・・

そのあとは?

有機体的に踊ってはいけない。
すべてを失くして陰惨な姿でなければ。
不毛で枯れた大地にいるのを髣髴とさせなければ。

優雅に踊っている場合じゃない。
ほねぼねとして、感覚、痛みの感覚だけが
鋭敏にむき出しになっているのでなければ。
見ている人がやめてくれ、と言いたくなるほどの。
胸に迫るにはそれくらい生のものを出さなくては。

そこまで自分自身を追い詰めなければ。
深いものを突き詰めなければ。
自分をえぐらず、どうして見ている人の心に深く突き刺さろう?

小さくてもいい、動きは小さくてもいいのだ。
鋭敏であらねば。



4/15
私の荒野はここにも、ある。

先日は自分を追い詰めなければ、と考えていたが
"鳥葬"のその後の描き方もいろいろある。

"鳥葬"の詩そのままの情景の続きでもいいのだが、
もしかしたら詩にとらわれずに自分自身のその後でもいいのかもしれない。
新しく詩をかいてもいい。
現実は"鳥"である彼のほうが死に、私は生き残ったのだ。
それを描いてもいいし、這い上がってきた自分を描いてもいい。



4/16
"鳥葬"、えぐるだけでなく、救いの物語にしてもいいのでは?と思い、
イメージを探っていたらだいぶ振付が進んだ。
一塵の風が吹いたあと、くず折れ、さらされ、そこから這い上がり、
ほねぼねしく立ち、再生していく。
鳥は飛んでいき、むしろ昇華される。
そして女も救われる。空へ想いをはせる。

振りを大体つけた。
最後のところがあとワンフレーズくらい残っているが。
実際この通り踊れるかどうかわからないけれど、やっと光明が見えた。



4/17
振付のことを考える。いいものになると思う。
改めて振付の意欲がわいたので、嬉しく心強い。

今日のリハでは新たにつくった後半部分を先生に見て頂いたところ、
この方向性でいいと先生のOKが出た。よかった。
あとは最後のところと途中の細かいところを振付しよう。
ほっとして幸せだった。



4/19
今日のリハではソロは衣装をつけ、裸足でやってみた。
評判よかった。
先生からは最後の振りだけインパクトが足りないと指摘された。
振付は本当にあとひと息だ。



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